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東京地方裁判所 昭和45年(ヨ)9322号 決定

債権者 忍草入会組合

債務者 国

訴訟代理人 広木重喜 外四名

主文

本件申請を却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

債権者は、「債務者は、別紙目録記載の建物を実力をもつて撤去し、あるいは封鎖し、その他債権者の右建物の利用を妨害してはならない。」との裁判を求め、債務者は、主文第一項同旨の裁判を求めた。

第二債権者の主張の要旨

別紙「申請の理由」記載のとおり。

第三債務者の主張

別紙「上申書」記載のとおり。

第四当裁判所の判断

本件疎明資料により疎明される事実とこれに基く当裁判所の判断は次のとおりである。

一  債権者は、その旧慣に基き制定された規約によれば、いずれも現に農業を専業とするもので、明治時代より継続して、山梨県南都留郡忍野村忍草区民またはその分家で現に区民たるものおよび一定の事由があつて総代会または組合総会の議決によつて組合員たる資格を付与されたもので、各々平等の権利を有し、義務を負うものによつて構成され、忍草区民固有の入会地を保護管理し、組合員の農業経営を維持するとともに、入会地の高度経営、旧慣に基き組合全体に統一的に帰属する入会権の高度伸張をはかり、入会地の利用および入会地から生ずる一切の収益(現物および金銭)を組合総体のために適正に管理、運営することを目的とし、右入会権の行使に関する一切の事項をその業務として行い、そのための議決機関として、総組合員からなる総会、各組毎に組合員によつて選出される総代による総代会があり、組合を代表し、右総会および総代会の決議に従い、組合の業務を統轄処理する執行機関として組合長(組合長代理)がおかれ、これに要する経費は、入会財産にかかる一切の収益、借入金および組合員の賦課金をもつて支弁することと定められており、従来より右規約の定める如き団体として存在し、その定めに従つて活動してきたものであつて、いわゆる権利能力なき社団に該当するものと認められる。

二1  ところで、別紙目録記載の小屋(以下本件小屋という)の所在地たる同目録表示の土地を含む富士山北麗の梨ケ原地籍の土地は、明治初年の地租改正、官民有区分に際し、官有地に編入され、後には御料地に編入されたが、明治四四年山梨県に恩賜県有財産として下賜された(一部は後に恩賜県有財産保護組合に払下げられた。)もの(この点は当事者間に争いがない。)であるが、債権者組合員らおよびその先代ら忍草区(通称)民は、右明治初年の制度改正以前から、右梨ケ原地籍の山林、原野のうち、東側は出口稲荷神社より小富士を見とおす線、西側は富士見橋から富士山を見とおす線内の区域において、堆肥および飼料用の生草・燃料用の粗朶類を採取する慣行を有しており、右慣行は、右土地周辺一帯が昭和一一年以降旧陸軍により旧陸軍演習場として買収されて再び債務者の所有となつた後においても細々ながら維持されていた。(旧陸軍演習場当時においては、債務者主張の如き種々の制約が課せられていたことが認められるが、それは当時の強大な軍事権力の威圧の下に、住民側が譲歩を強いられていた結果にすぎないとみるべきであろう。)

2  そして、右旧陸軍演習場は、昭和二〇年一〇月米軍により接収され、平和条約発効後は、旧安保条約による施設および区域として昭和三五年六月以降は新安保条約上のそれとして米軍に提供され、いわゆる北富士演習場として使用されてきたが、その間、昭和二六年頃から朝鮮動乱の影響で右演習場の使用が激化したのに伴い、同演習場内への立入制限が厳しくなつたため、債権者をはじめ同演習場内の土地に入会権を有すると主張する周辺住民およびその団体が、債務者に対し、右立入制限の緩和と、右制限による入会権不行使により被つた損失の補償を陳情した結果、債務者は昭和二七年頃より、債権者をはじめ周辺の各入会組合らに対し、林野雑産物損失補償金を支払う(尤も、右補償金は昭和四二年度以降は損失の算定につき争いがあるため支払われていない。)ようになり、更には、日米合同委員会の協議を経て、毎週一回(原則として日曜日)に、付近住民が採草等のため右演習場内へ立入ることを許可するよう取扱うようになつた。

3  なお、その間において、昭和三〇年五月一九日の衆議院内閣委員会で、当時の福島調達庁長官が忍草の入会権問題につき、「占領中は交渉せずに入会権を制限したのが事実であろうが、林雑補償金を受けていることで追認されたものと思つている。」旨答弁をなしたことがあり、また、右補償問題等に関し、債権者と債務者との交渉の過程において、債務者は、忍草区長にあて「政府は、昭和三五年八月九日付御要望の趣旨を諒とし、早急に最大の努力を払うとともに、貴区が従来有して来た入会慣行を十分尊重し、誠意を以て善処します。」との昭和三五年八月九日付江崎真澄防衛庁長官の回答書を発し、翌三六年九月一二日には、同じく忍草区長にあて、藤枝泉介防衛庁長官が、「政府は、貴区民が旧来の慣習に基き梨ケ原入会地に立入り、使用収益して来た慣習を確認するとともに、この慣習を将来にわたつて尊重する。」旨の覚書を交付し、更に、債権者の防衛施設庁長官小野裕に対する「政府は、当組合が旧来の慣習にもとづき梨ケ原入会地に立入り、使用収益してきた入会慣習を再確認し、この慣習を将来にわたつて尊重することを確認せられたい。」との昭和三九年六月二三日付要望書に対し、同長官は、翌二四日付回答書をもつて、「昭和三九年六月二三日付お申出の要望事項はすべてこれを確認する。」旨の回答を寄せ、次いで、昭和四三年一一月一四日、陸上自衛隊の北富士演習場使用に関し、債権者と、防衛施設庁長官山上信重との間で交換された覚書中にも「政府は、債権者が旧来の慣習に基き立入、使用収益してきた入会慣習を再確認し、この慣習を将来にわたつて尊重する。」との文言がみうけられるのである。

4  以上のとおり、債権者組合員らおよびその先代らがかなり以前より北富士演習場内の梨ケ原地籍において、生草、粗朶等を採取する入会慣習を有していたことが窮われることに加えて、債務者は、安保条約に基く施設および区域として米軍に提供した右地域への債権者組合員らの立入りを確保するため、米軍と協議してその方法を定め、右演習場としての使用による立入制限によつて生じた損失補償のために林野雑産物損失補償金の支払をなし、更には、債務者の担当者である防衛庁長官らが数次にわたり、債権者に対し、梨ケ原入会地における債権者の旧来の入会慣行を尊重する旨言明していることなどからすれば、債権者が梨ケ原地籍の前記認定の区域の土地につき、その主張の如き入会権を有するものと一応認めるのが相当である。

5  そして、明治初年の官民有区分により、官有地に編入された土地上に従前存した入会権は、当該土地が官有地に編入されたことにより消滅するに至つたとの法解釈は当裁判所の採らないところであり、また、右演習場内への立入りを許可し、林野雑産物補償金を支払つたのはいずれも恩意的なものである旨の債務者の主張も採用しない。

更に、債務者は、仮にかつて債権者が入会権を有していたとしても、それは、その後の社会経済情勢の変化に伴いすでに消滅に帰した旨主張するが、債権者組合員らの居住する忍草部落においても、時代の変化に応じ、生活環境の変化が生じつつあることは否めないところであるが、それも右部落のおかれた地勢、交通事情等からして周辺の他地域に比較すると、さほど著しいものとも認めることはできないし、現今においては、秋末から初冬にかけて粗朶類の採取のほか、有力な現金収入源となつている活花材料の採取等も行われるようになり、むしろ後者に重点が移りつつあるとみられる如く、その権利行使の態様においても多少の変容を迫られている面の存することは見逃し得ないが、敍上認定のような入会の必要性、従つて、入会の慣行がすでに消滅に帰していると断ずるに足りる疎明はないから、右主張も採用の限りではない。

なお、債務者は、債権者が本件入会権の主体たり得ない旨をも主張するが、一般に、入会権の権利主体は入会団体なる団体として観念されているのであつて、他に当該地域に入会権を有する団体が存するか否かは別論として、債権者が、その主張の如き入会権者に当ると判断して誤りないことは、上述したところから自ら明らかであるというべきであろう。

三1  次に、入会権の内容は各地方の慣行により定まるものであることはいうまでもないところであるが、一般論としては、入会権者が、入会地内に、その入会権行使のために合理的に必要な限度の工作物、例えば堀立小屋等を設置することは、容認されることが多いというべきであろう。そして、その場合においては、その設置場所、規模等は、右目的のために合理的に必要な限度を超えない限りにおいては、一応入会権者の選択に委ねられているものと解することが許されるであろう。

2  しかしながら、当裁判所は、本件小屋が設置されるに至つた経緯に徴し、本件小屋が右の如き入会権行使のための工作物として設置されたものと認めることはできないのである。即ち、

債権者は、昭和四二年八月、本件梨ケ原入会地の北富士演習場陸上自衛隊梨ケ原駐とん地廠舎裏門の南方約一・六キロメートルの地点に、丸太組み、萱葺、外壁萱囲の小屋を作り、忍草母の会とともに、これを債権者の入会権確認、米軍演習反対斗争等の拠点として使用してきたが、昭和四五年夏に至り、米軍の実弾射撃演習が五年振りに再開されることに決定するや、債権者は、右小屋の周囲に幟をたて、障壁を設置し、丸太の外柵で囲続し、櫓を建て、更にはその周囲に深さ約二メートル、巾約四メートル、延長二〇〇メートルに及ぶ空堀を掘さくするなどして、右小屋(第一小屋)は砦のような様相を呈するに至つた。右第一小屋は、昭和四五年一〇月二七日、甲府地方裁判所の右建物収去土地明渡断行の仮処分命令の執行により撤去され、その際、それより先同月二五日に右第一小屋の北北東約一八〇メートルの地点に債権者によつて建てられた丸太組み、波型トタン葺、萱囲の床面積約一〇平方メートルの小屋(第二小屋)も同時に撤去された。その後、債権者は、同年一一月一日から八日までの間に、右第一小屋跡或はその付近に、いずれも忍草入会小屋と称して丸太組み、萱葺、萱囲の第二小屋程度の小屋を、債務者により次々と撤去されるや否や、そのあとを追うようにして、順次第三小屋から第六小屋までを建て、右第六小屋が同月九日焼失して後は、一時小屋の新設は中止していたが、同年一二月一二日から一四日にかけて再度米軍の実弾射撃演習が実施される旨の計画が発表されるに及び、同月七日、第一小屋跡の南西約一キロメートルの地点にほぼ右各小屋と同程度の第七小屋を建て、翌八日右第七小屋が債務者により撤去されるや、その直後に本件小屋(第八小屋)を建てるに至るとともに、同日本件申請に及んだものである。

3  本件小屋は、ほぼ第七小屋の跡(別紙図面表示の個所)に建てられた丸太組み、萱葺き、三角屋根のテント形一〇平方メートルほどの堀立小屋であつて、その規模からすれば、第一小屋の如く明らかに演習反対斗争のための座り込み小屋であると断ずるには躊躇せざるを得ない面の存することは否定し得ないが、他方、旧陸軍演習場時代若しくはそれ以前から本件梨ケ原入会地において、債権者主張の如き入会小屋を設置する慣行が存したとの点についての疎明は必ずしも十分であるとは認め難いばかりでなく、前記認定の如く、債権者が債務者の撤去に対抗して、その撤去直後に繰り返し次々と第二小屋ないし第八小屋(本件小屋)を建ててきたことに徴するとき(尤も、かくいうことは、債務者が第一小屋の場合の如く仮処分に依らずに第二小屋以下を強制撤去したことの是非については、何らの判断をも含むものでないことを付言する。)は、本件小屋も、その設置の目的は、専ら債権者の入会権確認ならびに米軍演習反対斗争のためのものであるとみるべきであつて、債権者の主張するように、入会権行使のために供するものとして、換言すれば入会権行使のため必要不可欠なものとして建てられたものであると認めることは困難であるといわざるを得ない。

なお、債権者は、本件申請理由中において、本件小屋は入会権についての一種の公示方法であり、そのためにも本件小屋を設置、維持することが必要である旨述べているが、債権者が、本件入会権の存否を争う債務者に対し、その確認を求めるためであるとするならば、それは他の救済方法に依るべきものであり、債権者が訴訟等によりその権利を主張している(現に、第二、第三小屋の撤去に関し、債権者が債務者に対し損害賠償請求の訴を提起している。)限り、たとえ入会地での収益が事実上相当程度制限されたとしても、(或は一時期不能であつても)、そのような事態を捉えて入会権の放棄とみることはできないというべきであるから、そのことによつて、入会権が消滅したものとされる余地はないといつてよいであろう。

四  以上の次第であつて、本件小屋が入会権行使のための入会小屋であると認めるに由ないものである以上、入会権に基く妨害排除請求を理由とする本件申請は、その前提を欠く失当なものであるといわざるを得ないから、これを却下し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条により主文のとおり決定する。

(裁判官 落合威)

目録

山梨県富士吉田市字梨ケ原五六〇八番地の三

山林 二五〇町六反七畝一六歩 所在(別紙添付図面表示の国道梨ケ原廠舎入口より南西四・一キロメートル、仮処分で撤去された小屋の西南西約一・三キロメートルの地点上に存する)の一木造草葺平家建入会小屋 一棟 床面積 約一〇平方メートル

〈図面省略〉

理由

一、当事者

債権者忍草入会組合(以下単に債権者または組合ともいう)は、富士山北麗のいわゆる北富士演習場内の通称梨ケ原に採草等の入会権を有する入会団体である。右入会団体は、現に農業を専業とする者で、明治時代より継続して山梨県南都留忍野村忍草区に居住する忍草区民、又は、その分家で、現に区民たる者(忍草入会組合規約第三条第一号)、および右規約第三条第二号の定めにより組合員たる資格を付与された者によつて構成され、その運営のために組合規約および対外的代表機関たる組合長などを擁する権利能力なき社団である。

債務者国(以下単に国ともいう)は、自衛隊の施設の取得及びこれに関する事務、建設工事の実施並びに自衛隊の施設に供される行政財産の管理を行う行政機関として防衛庁の外局に防衛施設庁をおき、あわせて条約に基づく外国軍隊の駐留に関する事務で他の行政機関の所掌に属しない事務を行わしめているものである(防衛庁設置法第三九条、第四一条第二項、第四条第二項国家行政組織法第三条第三項)。

二、被保全権利の存在

1. 債権者組合の組合員の所属している山梨県南都留郡忍野村忍草(以下忍草部落という)一帯の土地は、富士山北麗の高冷地で、酸性火山灰土壌であるため、農耕による生産がきわめて低いので、同部落住民は、収穫を上げるために大量の生草を採取して堆肥を作る傍ら、経営上必要な牛馬を多数飼育して農家の生計を支えてきた。このため、同部落住民は別紙目録表示の土地(以下本件土地という)に立入り、堆肥あるいは飼料用の生草を保護管理し、桑を植えるなどしてきたのであるが、右のような同部落の客観的諸条件からみて、本件土地に入会うことは、同部落住民が生活を維持存続するためには必要不可欠の行為であつた。そこで右部落住民は、本件土地を自らの山林原野の如くに自由に使用収益し、あたかも土地所有者権同様の権益として右入会の慣行を子々孫々に継続してきたのである。

2. 本件土地を含む富士山北西の原野は、明治以後、官民有区分に際して官有地に編入され、後には、皇室御料地に編入されたが、明治四四年山梨県恩賜県有財産として下賜され、(一部は後に恩賜県有財産保護組合に払下げられた)その後右県有地ならびに組合有地のうち一部(一八六五町八反四歩)が陸軍演習場として国有地となつた。戦後は旧日米安保条約に基づく施設又は区域となり駐留米軍の使用するところとなり今日に至つている。

そしてこれら所有者などの変遷にもかかわらず、忍草部落住民は一貫して本件土地に入会い、各時代の土地所有者も右の慣行を認めてきたのであつて、忍草部落住民が前記のように長年にわたつて享受してきた入会慣行に伴う諸権益は、民法上いわゆる「入会権」として保護されてきた。

3. 特に、戦後米軍に本件土地が接収された後は、忍草部落住民の本件土地への立ち入りが大幅に制限されたため、再三にわたり住民が防衛施設庁(昭和三七年一一月一日前は調達庁、昭和二七年四月一日前は特別調達庁といつた。)に対し、陳情をくり返し、国あるいは防衛施設庁も再三にわたり債権者忍草入会組合の本件土地に対する入会慣行の尊重を確約してきた。(この点については後述する。)

なお前述のように、本件土地は、日米安保条約に基づくいわゆる地位協定にいう「施設及び区域」とされているが、国内法上債権者の入会権を制限又は剥奪すべき何らの適法な手続もとられていないので、本件土地が「施設及び区域」であつても、入会権の存在を左右すべき法的根拠は債務者において有しないのである。

この点を少しく詳述すれば次のとおりである。即ち、

(一) 日本国政府は、いわゆる日米安保条約によつて、アメリカ合衆国に対し、「施設及び区域」を提供する義務を有するものであるが、右義務は、米国に対する国の条約上の義務であつて、右安保条約ならびに地位協定が直接日本国民個人の権利義務に消長を来たすものでないことは、すでに判例、学説上当然のこととされ、判例も「日本国は右義務を果たすために、右協定とは別に、日本国において国内法令により適法に当該物件を使用し得る措置を講ずることを要するものである。」(昭和二八年六月二四日東京地裁判決、行政裁判例集四巻六号一五七九頁)とのべている。

(二) ところで、本件梨ケ原を含むいわゆる「北富士演習場」は、昭和二〇年一〇月一日、旧陸軍演習場に占領軍が進駐し、これを自らの演習場としたことにもともと始まるのであるが、この接収は、人民の権利、利益を侵害し得る何らの法的根拠も有しない、いわゆる実力行使であつて、このことによつて、国が債権者の入会権を適法に制限し得ることにならないのはもとよりである。

その後、昭和二七年四月二八日の旧安保条約とそれに基づく行政協定の発効に伴ない、右演習場は同条約にいう「施設及び区域」となり、さらに同三五年六月二二日の新安保条約の成立に伴なつて同条約第六条に基づくいわゆる地位協定にいう「施設及び区域」となつて、前記占領、接収以後今日までひきつづき米軍の使用するところとなつてきたのであるが、右いずれの場合も国は、国内法令により適法に本件梨ケ原に対する債権者の入会権行使を制限し得る措置をとつてこなかつたのであつて、アメリカ軍に対し本件梨ケ原を提供している債務者の行為は、債権者の入会権を違法に侵害するものである。

(三) 以上のような債権者と債務者との権利関係の中で、債務者国の債権者組合あるいは忍草部落住民に対してとつてきた態度は、戦後当初の段階では、その一切の権利を否認し、忍草部落住民の権益を何ら顧慮しないという態度であつた。しかし、その後の右住民らのねばり強い交渉等により、とにかく損失の一部の補償をし、さらには右住民の入会慣習の確認と尊重、補償の適正化を確認するに至つた。ところが、長期にわたる住民の諸運動により右のような確認をなした直後から、現実の右入会地使用に関して何ら入会慣習を尊重した法的措置をとらず、又補償の支払いについても、住民が要求しない限り支払おうとせず違法な使用を続ける状態が続いて今日に至つたのである。

(四) 右のような国側の態度に対応して、忍草部落住民は、当初の補償を要求する運動から、右入会地の使用について住民の納得のいく使用契約を演習使用の事前に締結し、損失補償も双方で納得のいく額を授受した上で国において使用するように(これを事前契約の原則と略称していた)、くり返し国に対して要求するようになつた。

そして長期にわたる陳情、交渉の結果、前述のように、昭和三六年九月になつて、当時の防衛庁長官藤枝泉介と債権者組合との間で、「入会慣行の確認と尊重」他二項目を骨子とする覚書がとりかわされ、つづいて昭和三九年六月二三日防衛施設庁長官と債権者組合との間で、前記確認に加えて「梨ケ原の使用については誠実かつ公正な措置をとることを確約」する旨の確認がなされ、右確認に基づき昭和三九年六月二五日、債権者組合は、「覚」と題する書面によつて、当面予定されていた債務者側の入会地使用を承認した。

(五) 従つて、右「覚」書は、同年六月二三日付債権者組合より防衛庁長官あての「要望書」及び同月二四日付同長官の「回答書」と一体となるものであつて、右「要望書」記載のとおり国側が「演習場(梨ケ原入会地)の使用については、誠実かつ公正な措置をとること」及び「林野雑産物補償については、信義誠実の原則に立つてすみやかに措置すること」との約束を守るとの前提で、当面予想された演習について梨ケ原の使用を債権者組合において諒承したものである。そして右「覚」書は、右作成以後無期限にその入会地の使用を承認したものではなく、「今般貴下よりお話があつたので」と記されているように前記「要望書」及び「回答書」によつて確認された「誠実かつ公正」な使用の申し入れに対してはその都度承認を与え使用に協力することをのべたものである。そして、昭和四三年一一月一四日に債権者と防衛施設庁長官山上信重との間で取交された覚書にも「昭和三九年六月二三日付忍草入会組合長天野茂美の要望書並びにこれを確認した同年同月二四日付防衛施設庁長官小野裕の回答書に基づき……本覚書を作成する。」そして昭和四三年一一月一四日より翌年六月三〇日までの期間の北富士演習場の使用を債権者組合において諒承したことが明らかにされている。以上のように、昭和三九年六月二五日付「覚」書は、その成立の経過、及びその文言自身の簡略さ、さらに「覚」書以降の諸文書より明らかに一時的な、換言すれば昭和三九年度中、つまり昭和四〇年三月三一日までに限つての入会地の使用承諾の意味をもつものにすぎない。

(六) 右「覚」書作成以後の事態は、前述のように、国側において再び右確認を無視する態度に出たために、債権者組合を含む地元住民は「北富士演習場林野関係権利者協議会」を結成し、昭和三九年一〇月には「北富士演習場の使用転換について」なる政府よりの文書に対する回答において、右協議会として「北富士演習場の政府による使用」は違法であるから権利を守るために必要な一切の合法的手段をとるとのべ、さらに同四〇年四月二四日にも「北富士演習場の違法使用の排除に関する警告」同四一年四月一七日には「北富士演習場絶対反対斗争宣言」等を発表し、前記昭和三九年六月の政府の確認が履行されず、従つて債権者は、政府の右演習場使用に反対して自らの権益を守らなければならない事情が明らかにされている。

(七) 従つて、仮に、前記昭和三九年六月二五日の「覚」書によつて一たび右演習場の使用について、債権者組合が諒承したのだとしても右のようなその後の事態は、債権者が政府の確認事項違反に対応して、前記使用承諾の意思を撤回(契約解除の意思表示)したことを明らかにしている。又かかる一連の債権者組合らの演習場使用反対の運動に対して政府は、右「覚」書の趣旨に反する旨の抗議その他の意向を表明したことは一度もなく、又、北富士演習場を国内法上も適法に使用し得、債権者組合の入会権を制限しうるとする根拠を明らかにしたこともない。

4.(一) 以上のように忍草部落住民は、採草を主たる内容とする入会権を有するものであるが、採草等の入会権の行使に際しては、鎌、縄等の資材を収納したり、食料、水を保管する場所として、又風雪、日照を避けて休息をとり、時には泊りがけで何日も採草する場合の簡易な宿泊所として、入会地内に入会部落毎に作業小屋(入会小屋)を設ける慣習が一般的に行われてきた。

特に秋から冬にかけてすすきが枯れた後は、このかやを刈るために泊りがけで梨ケ原に入ることもあり、風雪を避けるための入会小屋は、重要な役割を果してきた。別紙目録記載の小屋(以下本件小屋という)は、主としてこの避難用として建築されたものであり、冬に向つて、燃料用あるいは、屋根材等のそだ、かやを採取するについて、広大な原野の中で急な降雪、寒風を避け安全に作業をするためのものである。かかる小屋のない場合、時には住民が凍死する危険さえ存在するので(現に気温は零下一〇 二〇度に下るといわれている。)本件小屋は入会権の行使に絶対必要なものである。又演習場内には他にもかかる小屋が、二、三存在し、県の所有にかかる小屋も存する。

小屋の場所は入会地の中央部が最適であるが、本件小屋は、演習等の障害にならないようにあえて部落より遠い所に建てられたものである。

(二) なお、付言すれば、入会小屋は古来より入会地に入会う者にとつては、春の「火入れ」と同様に、入会権の公示方法としての機能をもつている。

入会権は慣習上の物権であるので、登記のような公示方法はない。

そこで入会地に入会つている者は、毎年春に行われる「火入れ」によつて、他の入会地の入会権者その他に対して、自己の入会地であることを明確にすると同時に、入会地に入会小屋を建て、自己の入会の下にあることを公示してきた。入会小屋に入会農民が着する理由はここにある。入会小屋は継続的な形で入会権を公示する唯一の方法である。火入れは春に一時的に、しかし毎春に行う継続的なものである。

三、保全の必要性

1. 以上のべたように、債権者組合は、入会権の行使に際して、入会小屋を必要不可欠のものとして、本件土地内に建て、利用してきたが、昭和四二年に建築された小屋が、昭和四五年一〇月二七日、米軍の演習場使用上障害になるとの理由で、債務者が申請した建物収去土地明渡仮処分の仮処分命令により撤去された後、債権者組合は、これに替わるものとして、右小屋の近くに別の小屋を建てた。しかしながら、債務者はその建築直後に防衛施設庁職員をして何らの法的根拠なくこれを取り壊させたので、債権者組合はやむなく又別に小屋を作ることを余儀なくされた。このように、小屋の建築直後に取り壊されるということがくり返され、結局同年一〇月二六日ごろより一一月八日ごろにかけて五箇の入会小屋が建築されたが、いずれもその建築直後に債務者によつて取り壊された。中には債務者の取り壊し作業に先だち右翼等がとりこわしたものもあるが、建築直後にとりこわすという債務者の方針は一貫して存在した。

2. 債務者は、債権者組合からの抗議等にあい、米軍の演習にそなえて正当防衛、緊急避難あるいは自力救済により撤去したと弁解しているようであるが、いずれも全く根拠がない。

すなわち、本件のような行政庁の行為は、講学上いわゆる「行政上の即時強制」と称せられる行為に該当するところ、行政上の即時強制とは、「行政違反に対処し、目前急迫の障害を除く必要上、義務を命ずる暇のない場合、又はその性質上、義務を命ずることによつてはその目的を達しがたい場合に、直接人民の身体又は財産に実力を加え、もつて行政上必要な状態を実現する」場合に認められるのであり(田中二郎行政法総論 三九七頁)、その場合でも人民の身体又は財産に重大な制約を加えるものであるから、法律の根拠のある場合に限り、法律の定めるところに従い、しかもその目的を達成するのに必要な最少限度においてのみこれをなし得べきものとされている(前掲書 三九八頁)。

しかるに、前述のような一連の小屋撤去について、その法的根拠となるような法律はなく、又仮に米軍の演習の危険から住民の生命、身体を保護するにしても、弾着地外に設置された小屋そのものを撤去する行為は、必要な最少限度の措置ということもできず、又債務者の主張するような正当防衛、緊急避難等の要件にも、もとより当らないのであつて、前記行為の違法性は明白である。

3. 以上のような経過に照らしてみて、本件小屋についても、債務者が、従来と同様、早急に実力で撤去しようとしていることは明白であり、しかも差し迫つた米軍の演習が予定されていない今回はその違法性もさらに明白であるといわざるを得ない。(もつとも自衛隊による若干の演習が行なわれているが、もともと地位協定の「施設及び区域」を自衛隊が使用すること自体条約上も国内法上も何らの根拠なく違法である。)

仮に本件小屋が撤去されるならば、その純然たる経済的価値はともかくとして、現実に冬に向つて、屋根のふきかえ用、あるいは燃料とするかや、そだの採取のための入会は大きな制約をうけ、風、雨、雪を一時的に避けるための本件小屋を失うことによる債権者組合の損害は莫大なものになる。

よつて、本申請に及んだ次第である。

上申書

第一、債権者組合は、本件仮処分の被保全権利を有しない。

一、本件土地上に入会権は存しない。

1. 本件建物が設置されている土地(以下本件土地という)はいわゆる北富士演習場の一部であるがこの演習場となつている土地は債権者主張のように、地租改正・官民有区分により、明治一四年一月官有地に編入され、さらに同二二年御料地に編入されたものであるが、明治四〇年および同四三年の大水害のため山梨県民の疲弊が甚だしかつたのでこれが救済のため、明治四四年三月山梨県有財産として山梨県に下賜された。しかし、その後旧陸軍において演習場として必要になつたため、その一部(面積二七〇町二〇〇二)を昭和一三年一月に山梨県から買収し、再び債務者の所有するところとなつたものである(以下本件演習場と略称する。=本件土地はもちろんこの中に含まれている)。

債務者は、本件演習場敷地と周辺の県有地等(山梨県等から借上げた上)を「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約」の目的達成のために「右条約第六条に基づく施設および区域ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」の実施を目的として、駐留軍の北富士演習場として提供し、駐留軍は、同協定第三条により施設管理権者として、本件土地を演習場の一部として管理使用しているものである。

2. 債権者は、本件土地上に入会権があると主張するが、債権者は、そのような土地に関する権利を有するものではない。

すなわち、債権者は前記改租処分以前から本件土地を含む北富士演習場敷地に入会つて、自生する野草、粗朶類を採取する等、自からの山林原野の如くに、自由に使用収益し、あたかも土地所有権同様の権益として改租処分後も、(国の所有権に対抗できる意味での)入会権を有し、それは長年に亘つて享受してきた入会慣行に伴う諸権益として保護されてきたものであると主張するもののようである。

しかしながら、本件土地を含む北富士演習場敷地については、右主張の如き入会権は存在していないのである。けだし、本件土地は、前敍のとおり地租改正処分に基づき官有地に編入された土地である以上、明治八年六月二二日地租改正事務局達乙三・山林原野地溝等官民有区別更定調方・同九年一月二九日地租改正事務局議定山林原野等官民所有区分処分法等に明らかな如く、官有地編入処分の確定により、それ以前に当該土地に存していた入会慣行に伴う諸権益(法律上の保護をうけるべき利益)は、すべて消滅したものであり、かかる法解釈は、既に大審院連合部判決によつて確定しているところである(大正四・三・一六大判=民録三二八頁・現代法学全集物権法三二〇頁参照)。

したがつて、入会権の存在を前提とする本件仮処分申請は爾余の判断を待つまでもなく失当である。

二、債権者組合は、その他いかなる意味においても、本件土地を含む北富士演習場につきなんらの権利も有しない。

1. 昭和一三年一月二七日、債務者国(旧陸軍)が山梨県から本演習場を買収するに当り、債務者国は前所有者山梨県(知事)との間に覚書を交換した。県有当時、県は福地村外四ケ村恩賜県有財産保護組合(富士吉田市外二ケ村恩賜県有財産保護組合と改称)にその県有地の一部を貸付け、同組合において構成五ケ村(福地村、瑞穂村、明見村、中野村、忍野村)の住民に野草等を採取させていた。

そこで、債務者国は、演習場を県から買収するにあたり、以上の使用関係につき、前記保護組合が植林した立木は昭和一五年三月末までに伐採搬出すべきものとし、下草等は軍において特別の支障のない限り、右保護組合の所属部落住民に払下げる旨の覚書を交換した。

かくて毎年度、軍の許可を得て、本演習場内において雑粗朶、下草等の採取がなされてきたが、その採取については、昭和一六年四月忍野村長(関係五ケ村の代表者)が軍宛差出した請書によれば、採取時期は毎年四月一日から翌年三月三一日までとし(二条)、これが採取については軍において支障がない場合に採取を許すものであり、関係住民が採草をしようとする場合は、あらかじめ演習場主管に届出て、その許可を受けることを必要とし、しかも必ず現場に出願し軍の指示に従わねばならず(三条)、また採取の際は土地の使用(演習その他軍事目的の使用)を妨げてはならず(五条)、軍の都合により採取中止または地域、日限の指定がなされる(六条)ほか、一定の場合には取消しもあり得る(一〇条)とされていたのである。

しかして、この請書の趣旨は、関係部落住民にはもちろん周知されていたところであつた。

2. このように、この下草等の採取の許可は、決して保護組合に対して、入会権を設定したり、土地の使用を認めた趣旨では全くない。

しかして、戦後(占領期間中は格別、講和発行後は)、国は、前記覚書等に基づく旧軍当時の事実関係を尊重し、引き続き米軍の演習に支障のない限度で採取のための立入を許可してきたところ、昭和二六年頃から朝鮮動乱の影響で北富士演習場の使用が急激に増加したため、その採取のための立入りを著しく制限することとした。

そこで地元関係市町村から演習場内への立入りの緩和と採取できないための実損の補償方をしはしば陳情してきた。

そしてこの頃からいわゆる北富士演習場問題がもちあがり、一方国においても演習場の円滑な使用を図る必要性が痛感されるに至つた。そこでこれらの事態を円満に処理するため「在日米軍陸軍演習場及び同区域内立入に関する件」につき昭和二七年一二月日米合同委員会において取り決めをみたので、それに基づき、各県知事宛同二八年五月二三日付で「在日米軍陸軍演習場及び訓練場立入実施要領に関する件」の通達が発せられ、それによれば、「着弾区域を含む陸上訓練場および演習場附近に居住する住民は、訓練を妨害しない限り採草、採木及び類似の生業目的のため区域に立入ることを許される。訓練計画の作成に際しては、米側は訓練場又は演習場の区域住民に少なくとも一週一日春秋各一週間の立入を許すよう特別の配慮を払う。現地米軍部隊長は射撃訓練を行なう場合には、訓練場等の使用前少なくとも七日以前に現地日本側代表に使用等の通告を行なうこと」とした。

かくて、本件北富士演習場においても、毎週一回の立入りと春秋期一週間の立入りを認めるとともに(ほぼ一週間以上前に毎週山梨県を通じ関係住民に周知している)、かかる制限に伴う採取困難乃至不能による補償をすることとし、林野雑産物損失補償基準を策定し、昭和二七年度以降について補償を行なつてきた。

3. したがつて、忍草村(現在の忍野村)の住民が、右の演習に支障のない限り一週一回(その大部分は日曜日)等に本件演習場内へ立入つて、採草等の行為を行なうことは、国においてこれを認容するところではあるが、それ以上にいでて、本件演習場敷地につき、これが使用収益等の権利をもつものでは決してないのである。

しかしながら、周知の如く、北富士演習場問題は、その後も社会、政治問題化し、なかんづく債権者組合は、基地反対斗争、入会権奪還を標謗し、執拗に演習を妨害し、国に対し過大の補償金支払を迫つてやまなかつた。そのため毎年の如く補償額算定についての交渉が難行し、その都度債権者組合は組合員を動員し、演習場に立入り、弾着地点に座り込むなど、実力で演習を妨害してきた。

特に、昭和三九年五月には、演習場内梨ケ原地区廠舎西側に座り込み小屋(「入会地監視小屋」との看板掲示をした小屋)を建築し演習を妨害してきた。そこで債務者国は演習場の円滑な使用を図るため、債権者組合と鋭意折衝をもち、漸く昭和三九年六月二五日に至つて、昭和三五乃至昭和三七年度分の補償分についてとりあえず、供託することで(債権者はこれが供託金を一部弁済として受領する)、交渉の妥結をみることができた。そしてこの妥結にあたり、債権者組合は前記闘争小屋の任意撤去と同演習場の円滑な使用に協力することを確約し、「本件演習場を米駐留軍及び自衛隊の現行使用条件にしたがつて使用することを、諒承する」旨の覚書を提出してきたのである。

それ故債権者組合が本件土地を含む北富士演習場につき債務者国に対抗して(優先的に)その土地を使用収益する何らの権限も有しないことは極めて明白なことといわなければならない。

三、債権者組合自体は、権利保全の主体たりえない。

1. 前述したように、国が山梨県知事と交換した覚書にいう福地村外四ケ村恩賜県有財産保護組合は、その傘下の五ケ村(およびその住民)をその構成員とする特別地方公共団体であり、したがつてこの覚書による採草等のため立入許可がうけられるものは、あくまでも右保護組合乃至はその傘下町村の部落住民に限られ、これと独立して債権者組合がそのような立入採草の権限を別個に具有し得るものではない。従来忍草村住民が採草のため立入りが認められていたのは、前記保護組合の傘下五ケ村の住民としての地位においてであり、決して債権者組合の組合員としてではなく、それ故これらの住民の一部が集つて債権者組合のごときものを結成したからといつて、かかる者が独立して採草等のための立入りの権限主体となりうべきいわれは存しない。

2. しかるに、債権者組合は、忍草入会組合と自称し、恰も独立して入会権を有するかの如く主張するが、同組合は、そもそも昭和二七・八年頃に至つて国から前敍の理由により支払われている林野雑産物補償の受領乃至増額要求を推進するために組織化され、規約も昭和三五・六年頃作成されたものであつて入会権とは全く無関係の団体というほかはない。このことについては東京地裁判決(昭三八(ワ)四五一九昭四五、二、二七判決)も摘記するように「入会地に対する補償金の管理等を業務内容とする」いわば補償のための交渉団体に過ぎないのみならず、債権者組合は、忍野村忍草部落の住民全員によつて結成されたものではなく、同部落には右入会組合のほか、同組合と同趣旨の目的と規約をもつ「旧忍草村入会組合」と称する別個の団体が組織されているのである。したがつて、同一部落の一部の住民のみをもつて結成されている団体が慣行的な入会権の主体たりうる筈もないものといわねばならない。

3. そして、債権者組合自身、甲府地裁昭和四五年(ヨ)第三五号仮処分事件の準備書面において「入会慣行が消滅すれば入会権そのものが消滅するものである」ことを明らかに自認している。すなわち(忍草、新屋部落以外の近隣部落の入会権に関してであるが)、「大正時代から昭和初期にかけて部落住民の経済基盤が農業・林業収益から商工業あるいは観光事業等による収益に変化するに伴い、それぞれの最寄入会地たる山麗原野に入会つて、生計をたてる必要性が漸次減少し、陸軍演習場が設定されたころ以降は、ほとんど入会の慣行を失うに至つた。そして、入会権の性質上原野等に入会つて採草等を行なう必要がなくなり、入会慣行が消滅すれば入会権そのものが消滅するのであつて……」と主張している。はたして、しからば債権者組合の組合員らは、今日社会経済の急激な変化に伴い、後述する如き殆んど牛馬を飼育せず、耕うん機、その他農業機械や農薬等の普及、プロパンガス、その他炊飯暖房器具の普及が一般化した今日、もはや何ほどの採草等の必要性が存するものということができるのだろうか。そしてこのような事情は債権者組合が、摘示される他の部落と全く同様である。しからば、債権者組合の右主張に立脚すれば、債権者組合の主張するが如き入会権はすでに消滅しているといわれてもいたしかたのない現状にあるのではあるまいか。

四、本件建物は、違法工作物である。

1. 前敍のとおり、債権者組合は本件建物を本件土地上に建築し、これを使用しうる何らの権限も有するものではない。ただ忍草部落民が国の許可を得て野草等の採取のための立入りが本件土地を含む北富士演習場の一部につき認められているに過ぎず、それとても週一回、春秋少なくとも一週間で、かつ事前に許可の通告があつて立入ることができるに過ぎない。それ以上本件演習場敷地をいかなる意味においても、国の所有、使用管理等を排除して(国に対抗して)占有使用する権限は全く存しないのである。

それにもかかわらず、債権者組合は、その組合構成世帯の主婦を中心に結成された忍草母の会と共謀して、昭和四二年八月に、基地反対斗争の拠点とするため、梨ケ原地区内弾着区域にいわゆる団結小屋(以下第一団結小屋という)を建て、母の会々員を常時三名交替制をとりながら泊り込ませ、加えて同年九月に、屋根、外壁を草で囲み、新たに木造草葺の便所を設け、さらに同年一一月に既設の小屋を増築し、周囲に囲障(延長約三八メートル)を設置し、さらに翌四三年一一月には、既設の小屋を西側に移し、その跡地に木造草葺の住家一棟を建設した、そして本年七月に入るや、この団結小屋の周囲に頑丈な木棚(延長約一〇〇メートル)をめぐらし、櫓を組み、八月にはさらにその周囲に深さ約三メートル、幅約四メートル、延長約二〇〇メートルの〃塹壕〃ようの溝を堀り、旗柱をたて、立看板を並べ、いわばこの団結小屋を〃要塞化〃するに至つた。

このように急拠〃要塞化〃が進められたのは、本年七月六日駐留軍が北富士演習場において実弾演習(演習期間同月一四日から一五日まで二日間)を計画し、その旨を地元関係当局に通知したことがその契機となつている。そしてさらに一〇月一六日に防衛庁に対し、駐留軍が一〇月二九日から三一日まで、本件演習場において実弾演習を実施する旨を通告してくるや、一段とその反対斗争態勢を強化し、忍草母の会を中心に泊り込みを強め、支援団体と相携えて実力で演習を阻止しようとした。そこで、債務者国はやむなく甲府地方裁判所に、右第一団結小屋の収去と土地明渡の断行の仮処分を申立て、一〇月二四日これが仮処分決定が下されたので、この決定に基づき、同月二七日右第一団結小屋を収去したのである。

2. しかるに債権者組合および忍草母の会らは、たとえ団結小屋を取り毀されても、第二・第三の団結小屋を建てる、断固演習を阻止すると豪語し、右仮処分執行の直前(一〇月二五日夜陰に乗じ)早くも第二の団結小屋(丸太組、トタン葺、外壁萱囲み、約九・九平方メートル)を、第一小屋の北方約二〇〇メートル(米軍の実弾演習の弾道下ないし弾着地域にあることはいうまでもない)のところに建てて抵抗運動の根づよさを示そうとした。そこで債務者国は前記仮処分の執行のあと、この第二団結小屋を取り毀したが、債権者組合は、前記米軍の演習が一〇月三一日終ると直ちに第三団結小屋(丸太組、屋根萱葺、外壁萱囲み、約九・九平方メートル)を一一月一日午后、右第二団結小屋の跡地に建てたので翌二日午后、国はこれを取り毀した。するとまた、一一月四日夕刻に至り、第一団結小屋の南方約五〇メートルの地点に第三団結小屋と全く同種同規模の第四団結小屋を建てた。これを国が翌五日午后取り毀すや第五団結小屋(丸太組、三角形テント型、萱囲み、約六・六平方メートル)を、その夜第一団結小屋の東方約六〇〇メートル(鷹丸尾陵線上)に建てた。それは翌六日、米軍の実弾演習ならびに一一月一二日からの実弾演習(その弾道に当る)を妨害するため鷹丸尾に急拠建てたものである。しかしながら、債務者国は右米軍の演習終了後(同日午后三時半)これを撤去した。ところが、一一月一二日から三日間米軍の演習通報が出ていたので、これを阻止すべく、又々第一団結小屋の南方約一五〇メートルの地点に第五団結小屋と同種同規模の第六団結小屋を、一一月八日午后に至り建築したこの小屋は、一一月九日正午ごろ何者かの手で焼きはらわれた。このような度重なる斗争のための団結小屋の建設は、いずれも目前に迫つた米軍の実弾演習を阻止すべくなされたものであり、国もまたこれが演習に支障があるので緊急やむなく取り毀したものである。しかしながら、このような繰返しをつづけている限り、安全の確保が憂慮されたので、米軍側では、人命尊重、安全管理体制を確立するため、弾着区域の地ならし整地作業をすることになり、予定の演習を中止して、本件第一団結小屋跡地を中心にして相当広範囲に亘つて整地作業をすすめることとなつた。

3. このようにして米軍は再び一一月二八日から逐次空陸二手にわかれてキヤンプ富士に来麓し、一二月一日約一、二〇〇名の集結を了した。そこで債権者組合及び忍草母の会は、米軍の実弾演習間近しとの予想のもとに、まず反安保実行委員会関東ブロツク協議会等と提携し、右敷地作業の状況等を調査すると称して、一二月七日数十名の調査団を現地に案内してきた。しかし、この調査は、梨ケ原中道入口附近で地元山中湖村住民に立入りをこばまれ、現地に臨むことができなかつた。しかるにその間、忍草入会組合と同母の会員約五〇名は、富士急行株式会社のバスを借上げ、吉田登山道から演習場内に密かに入り、第一団結小屋附近で下車し、集会を行ない、右調査団と合流することを意図していた。しかし、前記のとおり調査団の入場が阻止されたため、その目的を達することができなかつた。しかし、このどさくさの間に第七団結小屋を第一団結小屋の南方約一、一〇〇米(直線距離)の地点に建てていたのである。

このことは明らかに米軍の前記作業の進捗を阻止し、ひいては前記米軍部隊の実弾射撃を妨害せんとしてなされたものと言わざるを得ない。ところで債務者国(横浜防衛施設局吉田防衛施設事務所)は、右設置がその日の夕刻新聞社より知らされるまでは全く知らなかつた。

前記調査団が帰つてから、このことが知らされたので早速翌八日午前中に撤去した。するとまた同日午後二時頃第八団結小屋が右同一個所に再び建築されたのである。それ以来債権者組合は国により取り毀しを防ぐため監視員二・三名を泊り込ませ、監視を続けるとともに、そのとりこわしの禁止を求めて、本件仮処分申請に及んだのである。

4. このように、第一団結小屋から第八団結小屋に至るまで一貫して、債権者組合は、基地反対斗争の拠点として、反対小屋を建て続けてきた。そしてそれらは米軍の実弾演習を事実上妨害せんとして、建て続けられてきたものである。しかるに、今回の仮処分申請にあたつては、恰も第八団結小屋は「入会権のための作業小屋」であると称している。しかし、それは、索強附会も甚しいこじつけと言わざるを得ない。けだし、前述した第一の団結小屋が建てられるまで、未だかつて「入会権のための作業小屋」が建てられたことは一度もなかつた。そして、前記梨ケ原廠舎西方に建てられた「入会監視小屋」といい、また右の第一ないし第七の団結小屋といい、いずれも、入会権のための作業小屋ではもちろんなく、いずれも斗争のためのすわり込み小屋であつて、このことは、本件の第八団結小屋についても、全くその軌を一にするものである。

しかして第八団結小屋が建てられたその時期といい、その場所といい、いずれも債権者組合及び忍草母の会がこれまで続けてきた基地反対斗争を執拗に推進するための拠点以外の何ものでもないのである。特に後述するように、一二月七日に至り第七・第八、団結小屋を厳寒期に入り、しかも富士山寄りの奥地高冷地に建築してきたのは、それが一二月一日集結した米軍部隊の実弾演習を阻止せんとして敢えてその事に出た反対斗争小屋に外ならず、それは「作業小屋」とは名ばかりの口実で、あくまで第一乃至第七の団結小屋とその目的、用途を同じくするものといわねばならない。

5. それ故、本件建物は、全くの違法工作物であり、前述したすべての面からも、債権者組合は、本件土地、建物につき本件仮処分にいう被保全権利を有しないものというべきである。

第二、債権者組合には、本件仮処分につき保全の必要性がない。

1. 本件小屋を建てるに至つた時期、経緯・背景については、前述したとおりであるが、本件、仮処分の保全の必要性について考えるに、まず、債権者組合が主張している作業小屋を建てる必要性自体が存するかどうかを、以下明らかにする。

すなわち、債権者組合は鎌・繩等の資財を収納したり、食料等の保管さらには風雪、日照を避けるなどのため小屋が必要であり、入会部落毎に作業小屋を設ける慣習が一般的に行われてきたと主張するが、そのような慣習は全く事実に反する。

けだし、前述したように、未だかつて一度も本件演習場内に第一乃至第七団結小屋等の外には、作業小屋が建てられたことがなかつた。このことは、何よりも、その主張のような慣習の存在していなかつたことを如実に裏付けるものといわねばならない。もつとも右第一乃至第七団結小屋のほかに、他の組合が建てた小屋があつたが、これとても採草のための作業小屋として建てられたものではなかつた。これらの小屋が建てられるに至つた経緯や目的も、右債権者組合が前記第一の団結小屋を建て、恰もこの一帯が右債権者組合のみの直属入会地であるかの如く主張するに至つたので、それに対抗して建てられたものにすぎず、従つて、一度も採取のための作業小屋として利用されたことはなかつた。そして山中長池入会組合の小屋は、前記仮処分執行直後自ら収去しており、新屋入会組合の建てた小屋は、入口に太い木材が釘打ちされており容易に入ることもできず、およそ作業小屋として使用しうる状態にはなつていない(なお、この新屋小屋については本件演習に直接支障が無かつたのであえて収去を求めなかつた)。

2. しかるに、債権者組合は「特に風雪を避けるため小屋は重要な役割を果してきた」と主張されるが、一体厳冬降雪の時期に、何をあえて立入つて採草等をしなければならぬ必要性があるというのだろうか、甚だ理解に苦しむところである。そこで、はたしてかかる厳寒の時期に採草行為等の必要性があるかについて考えてみるに、このことについては林野雑産物補償の申請の際債権者組合から提出された損失補償申請書に、その必要性のないことを債権者自身が自認していることに留意すべきである。すなわち、同申請書によると一、二、三月における粗朶等の採取は厳寒と積雪のため不能であり、採取していない旨を明白に自陳しているものである。

したがつて、この申請書が真実を語るものである限り、第八小屋の建設目的が作業のための小屋でないことを、自らうらがきしているものといわねばならない。

3. そして今更陳述するまでもなく、本件第八団結小屋は富士という高冷地の奥ふかく、しかも、今や厳寒に向かい寒風にふきすさぶほうばくたる荒野の中に点在している。しかも、現地は車も入らず沢を越えて徒歩にて漸く達しうる辺ぴな沢ふちに所在し、野草等の極めて少ない場所にあたる。ひるがえつて考えてみるに、かかる時期に、あえてこのような辺地に、作業小屋をたてる必要性が、忍草部落について、現在ありうるといえるであろうか。近時忍草部落の生活は終戦後一〇年以前と比べ比較にならぬ程近代化してきている。終戦後まもなくであれば、牛馬の飼料、田畑の肥料、自家用薪炭等生活のため本件土地上の野草、粗朶等が利用されていたのであろうが、戦後二十五年を経た現在においては、その必要性は皆無にちかいものということができる。けだし、役牛馬は、耕運機の発達普及に伴い、もはや殆んどいなくなつてきた。僅かばかりいる牛も、大部分は乳牛であり、飼料ももつぱら配合飼料が使用されており、田畑の肥料についても、化学肥料等の改良普及農業の省力化により、肥料のための採草は全くその必要をみない状況である。しかも燃料に至つては、プロパンガス各種暖房器具炊飯器等の普及が著しく、粗朶の採取に頼る利益は殆んど皆無に近いということができる。この様な忍草部落の生業の実体ないし生活状態をあわせ考えるとき、その部落から約六キロメートルもはなれた富士山麗の辺びな奥地に何を求めて、立入り作業の小屋を建て、採草をしようとするのであろうか。

されば、この小屋は、結局基地反対斗争のためにあらゆる手段を用い〃徹底抗戦〃を挑まんとする債権者組合の、いわば秘術をつくしたつもりの「入会権のための作業小屋なり」ということができ、その実は、米軍の近く予定される実弾演習ないし、豊地作業を阻止せんがための、第八番目の団結小屋(反対斗争の拠点)以外の何ものでもないということができるのである。

はたしてしからば、本件仮処分の申立はすみやかに却下されるべきであり、かくてこそ、第一団結小屋が仮処分決定により収去を認められたことによるわが国の条約上の義務の履行と国際信義の保持を一層、確保するゆえんではなかろうか。

4. 既述のように、第一の小屋ないし第八の小屋は、いずれも国において所有占有している本件演習場に何らの権原なく、国の承諾なくして建設されたものであり、かつ、その建設の目的は、国際的な取極に基づく駐留米軍の演習を実力をもつて妨害しようとする不法なものであつた。しかして、債務者国は、右の各小屋のうち、第一及び第六の小屋を除くその余の小屋は、すべて自力をもつて撤去したのであるが、これは、国有財産に対する前記の如き不法占拠に対する排除行為として当然許容される自力救済行為(行政上の即時強制ではない)であり、適法である。

しかして、本件仮処分申請の対象とされている第八の小屋も、国において緊急の必要の下に自力で撤去することは、債権者組合としては当然甘受すべき筋合のものである。

すなわち、これらの小屋は、何れも、実弾射撃演習の着弾地内に建設され、そのうち、第一の小屋は、前述の如く増強を加えられて、その仮処分による撤去時には、さながら小さな城の観を呈するに至り、常時何名かの者がその中に泊り込み、また、実弾射撃演習が計画されるやこれを拠点として着弾地内に坐り込みを行なうことにより、駐留米軍の演習を阻止していたのである。

第二乃至第八の小屋は、債務者側の監視の目をくぐり、一夜にして急拠建てられたもので、その構造は第一の小屋に比すべくもないが、その中に人が入り込み、また、それを拠点として、演習場内に坐り込むことにより、実弾射撃演習を妨害するであろうことは明白であり、かかる人の侵入を未然に妨ぐことは地形上至難のことである。

のみならず、簡易小規模の小屋といえども、これを放置するにおいては、第一の小屋にみられたように、堅固な建物に変ぼうし、索急の場合における速かな撤去を著しく困難ならしめるおそれのあることは、従来の経緯及び債権者組合の意図から、明らかである。

このように、第二乃至第八の小屋でも、単にそれを放置すれば、駐留米軍による実弾射撃演習の実施を不能ならしめることとなるといつても過言ではなく(また、そこに債権者がこれらの小屋を建てたねらいがあると考えられる)、かくしては、債務者国が米国に対して負つている条約上の義務、すなわち、本件演習場を常時使用可能の状態で米軍の使用に供すべき義務の履行を実質上不能ならしめるものというべきである。

以上が、債務者国において、第二乃至第七の小屋(第六を除く)を自力で撤去した理由であり、第八の小屋を放置し得ない理由でもある。

しかるに、債権者の本件仮処分申請は、債務者国が適法正当に本件第八の小屋を撤去するのを妨げ、米軍の演習の実力による阻止という不法な目的を達成しようとするものであつて、被保全権利、仮処分の必要性において欠けること明白である。重ねていえば、本件小屋自体の経済的価値がいうに足りないものであり、その撤去により、債権者のうける不利益が、米軍の演習の実力による阻止という不法な意図が実現できないことにあるにすぎないのに対し、本件第八の小屋の撤去ができないことにより債務者国のうける不利益が国際的な義務の不履行という重大なものであることよりすれば、本件仮処分申請の却下されるべきは当然であると考える。

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